原発怪談 其ノ二

 原発でそういう噂は立たないのかと聞かれると、むしろ宝庫だったりする。
 気性の荒いドカチン同士の小競り合いが事務所襲撃→発砲沙汰に発展したり、それが全く表沙汰にならない別の意味の怖……うん。あくまで噂だ。
 とにかく、よからぬ噂を耳にしたところで、「そりゃ、こんなところ何人も死んでるだろう」ぐらいにしか思っていなかった。

 原発というのは基本的に山を切り開いて作られる。広大な敷地でまだまだ手つかずの場所は多い。なにかが埋まっていて不思議はない。
 正月そうそう猛吹雪の中、独りで山に半日立ち続けていたりしたから回路がショートしていたのだろう。……こっちが死ぬ。

   *

「お前、こんなとこでなにしてんねん?!」
 春になって黄砂に侵され、熊の襲撃に怯えながら、山に立っていたある日のこと――
 出くわした業者のオッサンに驚かれたので、「壊れた監視カメラの代わりにいる」と正直に答えた。
「人間のやることちゃうで、それ!」
 ヤメテ……凹むからヤメテ。分かってるけど。
 立ってろと言われれば、ただ立っているしかない。
「これ、やるわ」
 なにか得体のしれないものを見る目したオッサンから差し出されたアメ玉とチョコレートをありがたくポッケにナイナイしていて、
「猿に取られんよう気ぃつけーよ」
 オッサンから忠告を受けた。言われずとも分かってまんがな。甘いものはライフラインなのだ。
 猿の交尾に気を取られているスキに、背後から忍び寄った別の猿たちに大事なお弁当を持っていかれそうになった苦い思い出がよみがえる。
「猿は囲んできよるからなあ……」
――怖いですよね。アレ
 当時、悪い先輩が猿をエアガンでイジメまくっていたせいで、僕が勤めていた会社は服の色を覚えた猿たちから絶賛報復を受けている真っ最中だった。シャレで済まない。
「こないだ(この間)うちの年寄りも囲まれたわ」
 基本、猿たちは弱そうなやつを狙う。
 が、ボスクラスはお構いなしに、しかも物陰から突然飛びかかってくる。地位は人を作ると言うが、猿はやはり人に近い。
 一際、ビッグなキャンタマ袋を見せびらかして闊歩しているだけのことはある。
 さらに間髪入れずに集団でヤりにかかる速攻戦術できやがるのでメチャ怖い。中国の強盗集団ぐらい怖い。
「やられたら二週間は(病院から)出れんぞ」
――どんな雑菌持ってるか分からないですもんね。少し引っ掻かれただけでも……
「熊はもっと怖い」

 オッサンは僕の言葉を喰うと、少しの間に含みを持たせた。
「あいつらな、関節がないんや。ゴムみたいなもんでビンタみたいに振り回されたら、かすっただけでも面の皮持ってかれる」
 ニヤリ、オッサンは笑った。
「しかも一回人のこと襲ったら、弱すぎてもうビビらんようなるしな」
 基本的に熊は人を怖れている。が、いとも容易く勝ってしまうと、その脆さに気づいて度々襲うようになるとは聞く。
 さらに、厄介なことに一度食べると味を覚えるらしい。肉の柔らかい女子供を狙う。声の高さで判断が効くそうだ。
 出会ってしまったら降りで逃げろと教えられた。熊は、前足が短いから昇りは一気に追いつかれると。降りならいずれ転ぶらしい。
――二回ほど見ましたけど。ふた飛びで超えてきましたよ
 僕は熊除けの有刺鉄線を見た。こんなもの意味ない。
「出会ったのが子熊やのうて助かったな。子熊はすぐビビりよるし必ず親がそばにおるから、子熊が騒いだ時点で問答無用できよる」
 まあ話の通じる相手ではない。
 警棒は頭の沸いたオッサンが雨に濡れたとレンチンして、全員取り上げられたし、熊用の催涙スプレーは向かい風でセルフ噴射したバカのせいで使用禁止を食らった。完全な丸腰だ。
「ここで、一番怖いもん――知っとるか?」
 オッサンが半目がちに顎をしゃくり上げる。
――熊ですか? 猿?
 僕がつぶやくと、オッサンは黙って手を振った。
――じゃあ野犬?
「あー、あいつら根性入っとるからな。鹿食うとるし。噛まれたら確実、狂犬病なるしな。でも違う」
 ハテ、なんだろう……マムシ? 蜂? エライ人? その愛人? アレな土建屋? まさかオッサン自身とか言い出すんじゃないだろうな。
 それともやっぱり放射線? 「この世で一番強いのは放射能」だって、スリムクラブのあの人も言ってた――
「烏や」
 オッサンが得意気に言った。
――カラス?
「せや。あいつらな空から急降下でついばんでいきよんや。入れ替わり立ち替わり、何十羽でな」
――頭、いいですもんね。烏
「上空からこられたら手ぇ出しようないねん。そな辺で血だらけの猿みたことないか? さすがに猿も逃げ回るしかないんや」
 確かにアスファルトから山の中へ、ヘンゼルとグレーテル状態に続く血痕を見たことはある。ああ、猿だよと先輩に教えてもらってはいたが、謎が解けた。
「タイミングずらしたり、同時にきたりな。あいつらエグイで、遊んどんねん」
――猿と烏が喧嘩することあるんですかね? エサの取り合いとか……
「せやから遊んどんねん」
――?
 オッサンは腕時計をチラリ見やった。油を売っていられるのもあと少し、僕と遊んでくれるのもそう猶予はない様子だった。
「遊んでるだけや。べつに取って食わんし、縄張りがもなにもない」
――遊んでるだけ……
「死ぬまでや。死ぬまでイジメて遊ぶんや。まあ、運よく逃げ切れても死によるやろな。あんだけ追いかけ回されて、肉エグられ倒したら」
 言葉に詰まった。
「ワシ地元の親戚がおるんやけど、そいつ山師やっとんねん。猿だけはな――よう撃たん言うとった」
 じっ、とオッサンの言葉に耳を傾けた。
「鉄砲向けられたら手ぇ合わせて命乞いしよるやつおるらしい。猿だけやそんなんすんの。なんや拝んでるみたいで気色悪ぅて、てな」
 猿は――やはり人間に近いのだろうか。でも猿の合掌は作り話だとも聞く。
「山降りてきて畑荒らしたり、どんもならんときは仕方なしヤってまうらしいけどな。死体吊るしとったらもうほかの猿は寄ってこんらしい」
 まるでメキシコの麻薬カルテルみたいなことをする。いや、もっとも原子的で効果があるやり方なのか。
「二度と寄ってはこんはずやのにな。知らん間に死体だけなくなっとることあるらしいで」
 仲間の遺体回収。警告を本能ではなく深く理解してなお、弔うことを諦めない――やはり猿は人と肉薄する気のした。
「そんな猟師でも躊躇する猿を平気で嬲り殺すんが烏や。恐ろしいで……」
 オッサンは再度、腕時計に目をくれた。
「俺はいつまでも遊んでられんけど、アイツらやったら死ぬまで相手してくれるで。ヒマやったら遊んでもらいな」
 言うとオッサンは意地悪く嘲笑って上空を指した。
 僕がつられて空を見上げようとして、名前も知らないオッサンはもう歩き出していた。

――嫌な鳴き声が聞こえる。
 悪いタイミングだ。また一人になって、周りの物音に敏感になっただけかもしれない。

 空を見上げた。

 怖いものだらけの場所で、ヒエラルキーの頂点に君臨するそいつらは、遥か上を優雅に飛び回っていた。

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