「つえの手を持つ所をはそん ◽︎こまっています
至急 作ってもらえませんか」
わけの分からないお願いを頂戴したのは、自宅マンションの駐輪場でのことだった。
出勤しようとバイクにまたがったところでフロントの小物入れになにやら白い紙を見つけたのだ。
最初レシートかなにかだと思った。が、見覚えがない。そうして、少しドキリとした。
マンションの近隣住民からの苦情かもしれないと思ったからだ。
「うるさい」とか「バイクの止め方が雑」とか「存在が迷惑なので出て行って欲しい」とか……
——わけが分からなかった。
つまみ上げてみた白い紙には、件の「つえの手を持つ所を」云々……お世辞にも綺麗とは言い難い黒のボールペン字で縦書きされてある。
ハテ? ナンデショウ?
僕は杖をいじる仕事に就いたこともなければ、そんな予定もない。思い巡らせてみて、誰かの杖を壊してしまった粗相も覚えがない。
「◽︎こまっています」の◽︎は、インクの出を確認するように中がグチャグチャと埋められていた。
おそらく「困」という字が分からなかったのだろう。「はそん」がひらがななのも漢字が難しかったのだろう。ただ、子供が書いた字面には見えなかった。
ふっ、と思い出した。
前にも似たようなことがあったなあ、と。
『不便』で書いた一件だ。あのときも見知らぬメモが僕の生活空間に入り込んでいた。
ただ、あれはスーツの内ポケットに入り込んでいた不思議があった。が、今回のは誰かがそばに止めてあった僕の原付の物入れに投げ入れた可能性もある。
僕あてのものではないのかもしれない。
知らぬ便りは杖が壊れて不便で知らぬ。不憫に思うが、知ったこっちゃない。
「幸村 仁」
裏返してみると白い紙は名刺だった。
肩書きはなかった。
名前と住所、それに電話番号が書いてあるだけのもの。住所は同じ町内だった。
(電話してみようか……)
実は大会社のご隠居さんで小さな親切、大きな見返りーーなんて浅はかな妄想をしたが、人の善意につけ込む厄介な人間でないとも限らない。
「ワシの杖を壊しおってー!!」
などと人違いに飛びかかられても困る。
少し考え、無になったところで、ポイと名刺を投げた。
本当にクセが悪いと思うが、僕の隣に止めてあった誰か知れないマンションの住人の自転車——その前カゴに投げ入れたのだ。
案外、こうやって僕のバイクの物入れに名刺は来たのかもしれない。
元は、どこの誰のどんなところにあったのだろう。
そんなことを考えながら、駐輪場を出て一階にテナントで入っているデイサービスが目に映る。
(ここに通っている、少し認知症の入った人の仕業かもしれない……)
思いながら、職場へ向かった。
*
「ああ、お前じゃない」
死神みたいなオジイに顔を覗き込まれ、こう言われたらどうしよう。もし名刺をあのままにしていたらどうなっていただろう……
仕事中、オカルトであるあるな妄想をくっていた。
……性なる夜にドヤ顔のカップル相手へ避妊具をプレゼントするサンタさんをやりながら。
もはや、死神にでもどこかへ連れて行ってもらった方がいいのかもしれない。底辺にもほどがある。
せめて配ったコンドームが破ければいいのにと願いながら、早朝に仕事を終えて帰宅した。
*
——うるさい。
気づけば寝ていて、目を開けるとカーテンの向こうは明るかった。
「○△◽︎☆ーーッ!」
声が聞こえる。
「だ——こっ——ね!」
一階のデイサービスだと思った。昼間はなにかとやかましい。夜勤者には辛い。
「だから、杖なんて知らないからッ——!!」
薄い壁の向こうで隣の住人がなにか話していた。