やることのないときはどうするか?
一人暮らしの知り合い宅に転がり込んでゴロゴロするのが一番だ。
男三人、ワンルームで空き缶とテレビを見つめて口の端々から好き好きにこぼれる言葉は、会話になっていない。
寒過ぎるエアコンの設定温度にケチをつけようとしたとき、画面から流れるニュース番組までの繋ぎ放送に目が止まった。
深夜から早朝にかけては夜景かテレビショッピングで、そのまま天気予報などが始まるパターンが多いと思う。
そのときは線路を滑走する電車から見える景色が延々と流れていた。
車掌室に据え置きされたカメラが映し出す風景は、揺れに影響を受けながら前方を中心に左右の景観を流して見せる。
ナレーションもないそれに、カナダかどこか——暖炉の様子を延々流し続けて高視聴率を獲得した番組の話を思い出す。
「これ、○○駅と違うか?」
誰かが言った。
その一言で場が共通の空間を取り戻したように、”自分もそんな気がしていた”と僕ともう一人が口々に告げる。デジャヴュ——妙な既視感さえも覚える。
「ああ、あそこ自衛隊の駐屯地沿いじゃね?」
「そっれぽい」
勝手に見知った駅を走る地元の電鉄であると決めつけた僕たちは、なんだか少し嬉しくなった。
最近電車に乗った記憶がある人間、ない人間がいる中で映像はやがて一つの駅を通過しようとする。
「何駅って書いてあった?」
そんな誰かの問いかけも皆、読めなかったと口を揃える。
そのうち分かるだろう、チャンネルを変えずにしばらくただ黙ってその映像に目をたくす。
「これホントに知ってる電車か?」
誰かが口を割って、またしても全員が”自分もそんな気がしていた”と二回目にならう。
確かに、見知った景観に紛れて果たしてこんな建物があったろうか? と疑問を抱く部分が見られる。
似ているだけでどこか知らない土地の映像だろうか……そう思い始めて一人が口を開いた。
「あ、これやっぱ違う。ほら、あんな観覧車見たことねえ」
本当だともう一人が頷いた矢先、ここも違う、あんな物見たことないと見ず知らずの証拠がぞろぞろと顔を出す。
そうして何分か経ったころ、一度も駅で止まらずに人を乗せる気配のない電車は全く初見の景色の中を走っていた。
……そうしてくれていれば良かったのだが、どこかで誰かが気づく。
「今の看板見たことあるぞ」
低い、呟くような声だった。
一度は良く知る風景と勘違いし、もしかしたらに期待を与えられたものの、今度は不安を残してもしかしたらは消えない。
見知らぬ土地のハズなのに、その場に居る全員が見覚えのある建物や看板、全体像が端々に映って止まらない。
「よく似てる場所があるとか?」
「それにしても……」
小学生のころ自転車でどこまで行けるか挑戦したときに覚えている風景が、知らない風景と混じって目に映る。
それは最近になって変わったというよりは、時を重ねてそういう風に発展していった感覚で説明に難く錆びれて枯れている。
過ぎ行く駅は見知らぬ造景で一つも覚えのあるものが見つからない。
どんどんと片田舎に見せる田畑の顔は大きくなって、それでも知ったつもりの学校が見え隠れてして戸惑う。
家主は突然にテレビを消した。
「そろそろ寝ないと仕事に差し支えるから」
*
帰り道——
ふと、思った。
それは僕たちが知っている電車から見える風景で、かつ知らない風景であるとしたらだ。
僕たちが思い浮かべた鉄道会社は戦後の一悶着で当初の思惑が大きく変わっている。
国営に紛れて策略にはめられたその鉄道会社は、不当な契約の元にライバル鉄道に所有沿線の多くを奪われたという。
もし、それがなければもっと遠くまで電車は走っていたし、僕の実家からほど近い駅は主要都市への連絡駅としてかなり大きなものになっていたらしい。
そうなっていればもっと町は栄え、僕たちは洗練された都会人だったかも知れないと笑った記憶が脳裏をかすめて朝方のアスファルトを踏みしめる。
朝露か雨の降り始めか、一滴の冷たさに空を見上げて歩を止め思った。
歴史が順当に変わらずにいれば、そうなっていた風景を見たのか、と。
また、おかしなことを考える自分にこれはロマンチストなのか、それとも単純に頭がおかしいのか、いよいよ独り言が口をついばみ首をかしげる。
ただ、あそこで家主がテレビを切ったことは正解だと言える。
そうしないといずれ電車は止まり、僕たちがいたあの一室に向かって迎えに来た誰かがチャイムを鳴らしそうだったから。
僕だけはあの”観覧車”をどこかで見た気がする。