僕は人の笑顔というものに慣れていない。
訝しげな視線やなにか得体の知れないものを見るような目には慣れっこだが、ニッコリ微笑まれるとどうも苦手だ。
今から騙しにかかるぞといわんばかりの企みの表情、もはや巣にかかっていてそれに気づかぬ哀れな餌食を嘲笑う繕った顔――うがった見方しかできない。
交通事故に遭った知り合いの見舞いに行く道中、揺られる電車の中で目の前に座るオッチャンが正にそうだった。
どことなく目が合えば真四角といっては失礼か、二重に被られた目を細め、深くシワを刻んだ顔をほころばせている。
気のよさそうな、もしかしたらそう大きくなくて会社の社長さんかもしれないと思った。
どこかの帰りか、床に置いた一杯の手荷物は大小様々な紙袋が並べられている。
まあ、強烈な点心やジャンクフードの臭いをさせていなければべつにいい。
ふと、そのオッチャンをもう一度見たとき。
端の席で手すりに寄りかかり景色を見ていた。
普段、ニコニコしている人の”素”というものはどこか怖い。笑顔を絶やさないデブの素など一級品だ。
*
駅のホームに降り立ち、乗り換えの電車を待っていた。
後ろからガサガサと紙袋を地面に置く音が聞こえる。
先ほどのオッチャンが僕の後ろに、その順番を取ったのだろうか……
「ただ今、3番線に到着の電車は……」
アナウンスが流れてこの駅を通過する車両であることを知らせる。
別段、急いでいないので停車する電車があればそれでいい——
ッ!
電気が心臓から駆け上がり、声にならないものが口中で消えた。
(危ない……ッ!)
なにかが僕の右肩にぶつかる感触があった。僕は白線の手前で一番に電車を待っている。押されでもしたら、それこそお陀仏だ。
——ッ!
黄土色したジャケットが突き上げた拳と共に見せた背中が、線路に飛び込んだ光景は僕の目にスローモーションを見せた。
(飛び込んだっ!)
呆気に取られて前だけを見つめていた。
残された紙袋は? 家族への手土産? だとすれば衝動的な行動? いや得意先との商談――金策が上手くいかず突き返された土産……
電車は止まらなかった。
オッチャンが飛び込みを図った理由を妄想している間に、停車予定のない車両はダイヤ通りの運行に向け走り去った。
……誰も、なにも気にしていなかった。
振り返ると紙袋もない。僕の後ろで電車を待っている人もいない。
*
自殺者は永劫、死の瞬間を繰り返すという。
それでも――。
飛び降りる際に突き上げられた二つの拳は、「ガッツポーズ」にも「バンザイ」にも見えた。
<こんな世の中にやっとおさらばだ!!>
そんなことを考えて、あのオッチャンは飛び込んだ。僕にはそう思えて仕方がなかった。
だからこそ——
肩に不毛な痛みだけが残った。