山彦山盛

 華の都へ繰り出したときだ。
 ただの出張。オッサンと二人、一泊二日。
 カプセルホテルかなんなら漫画喫茶でいいと思っていたが、当時の上司カネダさんが旅館がいいと言い出した。
「領収書は会社負担分の金額で切ってもらって、差額は俺が出すからいいだろう?」
 先輩にそう言われれば、二つ返事で僕はOKとなるわけで。

 案内された部屋に入ると、カネダさんが辺りをグルリ見回す。
「どうしたんですか?」と聞けば「うん……」と生返事だ。
 どことなくカネダさんの様子をうかがっていたが、そのまま黙って用を足しに行くことにした。
 パン! パン!
 部屋の近くまで帰ってくると、卑猥……小気味のいい音が聞こえる。
 発信源は僕たちの部屋からだった。障子を開ければ、カネダさんが手を叩き合わせていた。
 ――なにしてるんですか?
「オトダマ」
 こちらへ目もくれず答えたカネダさんは、真剣そのものだ。
 聞きなれない言葉に、
 ――言霊ですか?
「音、お・と・だ・ま」
 ――オトダマ?
 時折、身体の向きを変え、四方八方へ柏手を打つカネダさんは、いつもやっていることだから気にするなと言う。
 そう言われればそうするが、軽く気にはなる。
 ともかく、ケータイを充電するための電源を探していた。
「部屋変えてもらおうか」
 カネダさんを見て、一拍、間を置いた。
 ――はあ。なにか、ダメなんですか?
「ん……まあ、そうかな」

   *

 結局、部屋自体は変えてもらったが、フロントの女性はあまりいい顔はしていなかった。
 さきほどより一回り小さな部屋に通されたとき、カネダさんは無遠慮にまたも”パン、パン”やり出す。
 部屋へ通した旅館の人間も、さすがに訝った様子だ。
「あ、ここでいいです」
 同時にカネダさんは、柏手を止めた。
 二人になって、あらためて充電器をコンセントに繋いだ僕はなにが気になるのか聞いた。
「手ぇパンパンやって、鈍い音がするところは悪い者がいるって、うちのバアちゃんに言われててな」
 ――はぁ……。
「旅館とか、そういうところってなんか怖くない?」
 ……お前が、旅館のがええ言うたんちゃうんか。
 カネダさんは背を向け、缶ビールを取り出した。シャポッ! っと、プルタブを開ける音が鳴って、一口すするとあぐらをかく。
「そういうときは、部屋の四隅に向かって澄んだ音が通るようになるまで叩けって教えられてなぁ」
 そんなの叩き具合とか、行う人間のさじ加減一つのような気がする。
 カネダさんが大きくゲップを一つ。
「まぁ、そんな顔すんなや」
 ――さっきの部屋……。
 ふと思って僕は聞いた。綺麗な音が通るまで叩いてれば、悪い者はいなくなったのではないか?
缶ビールに口を膨らし、喉のつかえたように見開いた目をこちらへくれてカネダさんはうなづく。
「それが何回、叩いても鈍い音しか聞こえなかったんだよ」
 ――それで、部屋変えてもらったんですか?
「うん……さっきトイレ行っただろ? そのとき凄い怖くてなぁ」
 ――どうしたんですか?
 カネダさんは、少しばかりスラックスにこぼれたビールを気にしながら、
「パン、パンやってたらさ。そのうち叩いてないのに山彦みたいに音、返って来て……」
 まるで誰かが呼応してるような間隔で返る柏手に気味の悪さを覚えたころ、僕がトイレから帰ってきてその現象は収まった。
 お前がふざけておどかしたんじゃないのか? そう聞かれても僕はなにもしていない。

   *

 翌朝、フロントで「こちらのお部屋は、大丈夫だったでしょうか?」と聞いてこられたのは、単純に部屋を変えさせたからだ。他意はないと信じたい。
 お前もやった方がいいよ、カネダさんに音霊を勧められたが、未だ試したことはない。
 僕がそんなことをすれば、怒涛の勢いで山彦が返ってきそうな気がしてならないから。

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某

ヤレバデキルコモドキ科。口は災いの元が学べない。