相席食堂

 テレビの裏ネジを電動ドライバーでひたすら締めるという、地獄の単純作業で日銭を稼いでいたときだ。
 就業先の工場で、半ばアイドル化している女性がいた。
 色白ムチムチ、若くてオッパイも大きいとあらば男性人気はそらもう凄まじい。おまけにあざとさ全開。養殖満開。
 それはまあ、それでよろしいのだが、一つ気になることがあった。
 匂いが強烈なのだ。
 決して臭いわけではない。風呂上りのシャンプーのようないい匂いではあるけれど、これがとにかく強烈。
 香水なのか、ヘアクリームなのか、化粧品の混じり合った匂いなのか……。
 廊下を歩けば残り香が凄い。
 食堂の扉を開けた瞬間、匂いでその人がいることが分かるほどだ。
 僕は「におい」にかなり敏感な方なので、正直あまり近づきたくなかった。
 それがいい匂いだろうが、悪い臭いだろうが、とかく”キツイ”と頭が痛くなって吐き気をもよおす。
 どうせアイドル化しているような人だから僕と関わることはないだろう、そう思っていた。

 *

 しばらくして、そうもいかなくなった。
 僕がお昼ご飯を食べていると、決まってその人が目の前に席を取るようになったのだ。
 とにかく変なのは寄ってくる。
 昔からアイドル的存在に”だけ”、やたらと気に入られる。僻まれる。蓋を開けてみれば「そういうの」ではない。ロクなことがナイ。
 上目使いに目の前に座られて結構だが……困る。非常に困る。
 飯を食っているときにこの近距離で強烈な匂いを嗅がされては、たまったものじゃない。
 かといって黙って席を離れるわけにも、匂いが凄いから離れろとも言えない。
 さっさと平らげてあからさまに席を立つこともできず、ただ困っていた。

 *

「お前、あの子とええ感じやんけ」
 ある日、肘で突っつかれ、古株のオッサンにニタニタ笑われた。
 ――いや、そういうのじゃないと思いますけど……。
 しつこいおっさんに、僕は思わずこぼした。
 ――あの人、匂いきつくないですか……?
 おっさんは少し固まり、「あぁ……まぁ、そう言われれば」と大して気にしていない。
「ええ匂いやんけ。嫌なんか?」
 ――ちょっと強烈で……。
 数日後、オッサンがまた僕へ近寄って来た。
「あれ体臭らしいぞ」
 どうやら本人に直接たずねたらしい。デリカシーの欠片もない。
 それはいいとして、体臭という答えはいただけない。どう考えてもなにかつけている。
「本人が言うんや。フェロモンやフェロモン」
 確かに女性は男性を、男性もまた女性を惹きつけるため、特有の匂いを出すとかなんとか聞いたことがあるが、それにしても強烈だ。
 相手がオッサンだから分からないだろう、と面倒に照れもあって嘘をついたとしか思えない。
 僕が納得しかねているとオッサンは、女の子の日じゃないかと下衆の勘繰りを始めた。
「でも、お前が言うほどキツイ匂いではないぞ」
 オッサンは薄い表情だった。
 僕の鼻が敏感なだけか、どちらにしても僕にとっては迷惑な話だ。
 そうこうしていてチャイムが鳴ったので食堂に足を運んだ。
 昼食を取っていて、脳に刺さるようなあの匂いが鼻腔をくすぐる。彼女が来たようだ。
 相変わらず強烈な匂いだと、ふと顔を上げる。彼女と目が合った。
 途端、えげつないほどの匂いが僕の鼻の奥へと滑り込む。
 戸惑ったような顔で緩やかに、されど一歩、一歩確実にこちらへ近づいて来る。
「ここ、いいですか?」
 初めて話しかけられた。もう何度も勝手に目の前へ座っておいて今さらだが、焦って承諾するほかなかった。
 口に物が詰まったまま、うなづく。
 彼女は、相変わらずテーブルを挟んだ向こう側に腰を降ろした。
 その日は、いつにも増して強烈に思えた。
 頭痛を通り越して吐き気をもよおす。キツイ。嗚咽をこらえて涙目になる。
 生唾を飲んだ。
 侵食されそうな恐怖があった。
「あの……」
 瞬間、栓を開いたように匂いは絶頂を迎え、僕は席を立っていた。
 耐え切れなかった。
 失礼だとか、傷つけるとか、そんなことを考える余裕はもうなかった。
 なにか言いたげな視線を背中に感じながら、僕は口元を抑えて食堂を飛び出した。

 *

 当たり前だが、次の日から彼女は僕の前に席を取ることはなくなった。
 それ以来、不思議と匂いはマシになった。
 まるで蜘蛛が張り巡らせた糸のようにーー狙った男を匂いで惹き寄せているのかもしれない。
 本人が無意識ならば、それは何かに取り憑かれているんじゃないだろうかと疑いたくなる。
 ここだけの話。僕は彼女のことを陰で女郎蜘蛛と呼んでいた。
「ここ、いいですか?」
 彼女は、それからも一人で食事する誰かの前にいた。

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某

ヤレバデキルコモドキ科。口は災いの元が学べない。
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