おやつの時間

 ある日、用事で最寄駅から終点まで行かねばならず、電車に乗っていた。
 時間もあったので鈍行(各駅停車)に揺られ、のんびりと普段あまり見ない各々の駅を眺める。
 通勤ラッシュも引けた時間帯で急ぎの人は特急に乗り換えるため、あまり乗客は見られなかった。
 目的地をあと数駅に控えて、錆びついた屋根を支える柱が目につく駅で電車は止まる。
 そんな古ぼけた駅でも地元の人にとっては貴重な移動手段だろう、数人が乗って来た。
 季節は冬だったのでファーつきのブルゾンを着込んでいる人が目立つ。
 そんな中、ノースリーブ……この季節に腕を丸出しで乗り込む人がいる。
 白いノースリーブのワンピースに赤い薔薇を模したリボンが巻かれた白の帽子――あとで調べてみればクロッシュだか、クロッシェだかーーを被った背の高いご婦人だった。
(せめてなにか、羽織ればいいものを……)
 余計なお世話を考えていると、婦人は僕の右隣へ大人一人分程度の間を空け腰を落ち着けた。
 珍しく思った。
 よっぽどの混雑でもない限り、当時の僕の近くへ席を構える人などまずいない。男性でもなかった。
 特に、こんな小奇麗な格好をしているご婦人ならなおさらだ。まあ、周りなど気にしない、ご自分の世界に浸っていそうなタイプではあるが。
 ――おシャレは機能性を無視するものらしい。
 あまりにも季節度外視のお召し物に、しばらく横目でうかがっていた。
 婦人が動く。膝に置いたバッグをなにやらゴソゴソやっている――ガムを取り出した。
 あまり見るのもなんだと前方の景色へ視線を移したが、人の眼はある程度横も認識する。
 ――婦人が、何度も口に手をやっている気がしてならない。
 気になってチラリ横目をやると、左手を口にやったあと、右手を座席と背もたれの間、繋ぎ目の部分に突っ込んでいる。
 おそらくは、包み紙をねじ込んでいるようだった。
 ていの悪いオバハンだ。あんな小奇麗な格好をしているクセに。軽蔑の視線を投げかけたが、どうもおかしい。
 何度も、何度もその動作を繰り返している。
 そんなに大量にガムを口に放り込んでどうするつもりなのか。例え粒ガムだとして、普通一個、二個で事足りる。
 膝の上へ置いたバッグからガムを取り出し、包みを開ける、右手でガムを持って……ッ!
 包み紙を口にやった。
 そのまま右手に持ったガムを、わずかな隙間にグイグイやる。
 ガムを食べているものだとばかり思っていた。いや、普通はそうだ。そう思わないハズがない。
 婦人は銀紙を食べていたのだ。
 繰り返されるほどに、口からは銀紙がチラチラと覗き、時折はみ出す。
 もう目が離せないでいた。
 前の席の人たちは気づかないのか? 皆、一様にケータイをイジったり、読書にいそしんだり……。
 まばらに座る人々は、こちらへ無関心だった。決して無関心を装ってる風でない。
 婦人はまだ”行為”を繰り返している。
 電車は境界の知れぬまま地下へ潜り込んでいた。
 婦人、婦人と言ってはいるが、雰囲気でそう思っているだけで実際のところよく分からない。
 口から溢れる銀紙は、クシャクシャと音を立てて咀嚼される。
 スーツの男性も、派手な若い女性も、愛らしい子供も――みんな気にも止めていない。
 婦人は前を向き、バッグを抱えるように手を止めた。ガムを切らしたらしい……。
 うつむき加減で、口をモゴモゴやっている。
 なにか、頭がキンと音を立てる感覚に見舞われて気分を害してきた。アイスクリーム頭痛のようだ。
 そんな折、電車は終着駅に着いた。僕を含めた乗客が、皆一斉に駅に降り立つ。
 アルミ製の給食用食器をガシガシやる級友の悪い思い出が、ポッと浮かぶ。
 次いで、脳裏を過ぎったのは黒板に立てた爪――。
 ありきたりに埋まるくだらなさと、生理的嫌悪感……それを好きと言えるだろうマイノリティへ目をくれた。
 婦人は降りようとはしなかった。
 これは回送車両だ。続けての乗車はできない。その旨のアナウンスは流れている。
 一人残った婦人にどうしようか迷っていた。すると乗務員が車内を歩いてくるのが見えた。
 乗車したままの乗客がいないかチェックしているのだろう。軽く胸をなでおろした気分だった。
 スッ、と乗務員は婦人の前を通りすぎた。
 声を失った。
 足早に地上へ出た僕は、そのあとを知らない。

The following two tabs change content below.
某

ヤレバデキルコモドキ科。口は災いの元が学べない。