おはようおじいさん

 人と待ち合わせをしていた。
 タクシーの待合所とバスの停留所、公園がいっしょくたになったような駅前の広場だ。
 まばらに設置されたベンチの一つに腰かけ、ぼんやりとして待ち人こずこのままで、を望んでいた。

「おはよう」
 そう言って、挨拶をして周っているご老人に気がついた。
 初めは若い女性ばかりを狙った好々爺かと思ったが、そうでもなく……
 手当たり次第、挨拶周りしている。
 時世を憂う有識者か、はたまたボケ老人か――ニコニコと笑いながらそう言われては、戸惑いながら皆、頭を下げていた。

 愛想のよさは、手放しで女性に軍配が上がる。
 顔を見合わせて笑いながらも、「あ、おはようございます」と、つき合う若い二人組がいる。
 少し引き気味で、それでもまるで客商売に持ち直して流すような応対の一人もいる。

「おはよう」
 見上げると、いつの間にやら順番が回ってきたようだった。
 ――おはようございます……。
 頼りない会釈がついてきて、反射的に挨拶を返した。
 目の前で老人がニコニコ笑っている。すぐに背を向けると、広場の中央にある噴水へと向かっていった。

「おはよう」
 今度は、噴水の縁石へ腰かけているスーツ姿の女性へ声をかけた。
 前屈みにケータイを握り締め、なんとはなしその様子をうかがう。
 綺麗な姿勢でケータイを触っていた女性は、チラリ見上げると、訝しんだあとで冷たく目を伏せた。
 まあ、そんな人もいる。
 聞こえないフリをしているようにも見えた。合わせた膝の皿に力を込めて、口を結び直したようにも……

 ――ッ!

 途端、老人はポケットに収めた手を抜き戻したかと思うと拳を女性の腹に突き刺した。
 拳じゃあない。
 チラ、チラと光るものが見え隠れする。
 包丁だ! 出刃か?! 柳? 種類はなんでもいい。
 あろうことか、いきなり刺した。
 腹を。何度も、何度も抜き刺ししている。
 何度も、何度も。
 シャクシャクと梨をかじるような幻聴が聞こえた。

 ――甲高い悲鳴。

 女性子供にしか出せない音階。
 頭のてっぺんから抜け出たような、出しているそれの頭が割れるんじゃないか、というぐらいの澄んだ音。
 つんざいた悲鳴が、眼前の光景の認識をおぼろげからようやくかすみなくした。肺腑をえぐり抜くとは正に、だ。
 肺腑をえぐられている当人は、得物を刺し込まれる度、くの字な身体の前屈をより深めるだけで、声も上げない。

 仕立てた吸いつくような前髪。まとめてくっつけられた頭の後ろの団子――乱れることもない。
 いつか抑えた腹から抑え切れずに、鮮血がピウピウ飛び出す様を後方にある噴水にインスパイアされて……
 傍観の間違いを受け容れて、勢いだけはよく立ち上がった。
 腹を抑えたまま前へ倒れた。スーツの女性が。音がしなかった。

「ちょっと! アンタなに騒いでんの!?」
 声に顔を取られると、ベンチから立ち上がる女性の腕を掴んで見上げる女性の姿があった。
 目を戻すと老人もスーツの女性も、跡形もなく消えていた。
 ――周囲の音がいやに澄んで聞こえ出す。
 灼くような陽が遠くでギラつき、周りは大人しくそれぞれの今に集中している。

(だって……今、ねぇ……?)
 しばらく呆然としたあとで、見も知らぬ女性と目が合い意思疎通がなされた。

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