水子は親子で見失う

 20歳までに幽霊を見なければ、一生見ることはない。
 その話が正しいとすれば、僕はもう一生見ることはない、ハズなのだけれど……。

「遅刻しそう! ヘルプ!」
 かかってきた電話の相手は、アホで有名なアヤノだった。
 一応は同級生らしいが、色々あって勝手にお友達にされてしまったようだ。
 当時、水商売女だった彼女は、これで今月遅刻三回目。このままでは、ペナルティで時給が下がるのだという。
 ただ、同伴出勤の場合だと、遅刻扱いにならないらしい。それで僕に客として一緒に店にこいというのだ。
 なにが悲しくて高い金払って、知った顔を指名せにゃならんのか……。どうせなら、知らない女の子のがいい。
 少々下がったところで、そもそもビックリな時給もらってるクセに。
「二時間でいいから! あとで返す! 時給下がって説教くらうなら、そっちのがマシ!」
 二時間て……まあまあ長いわ。ボケ。

   *

 数時間後、アヤノから連絡があった。
 仕事が終わって家飲みするから、お前もこいと言う。
 一応、救いの手を差し伸べたので彼女なりのお礼らしい。多分、立て替えた金を払う気ないパターン。

 足を向けて数時間が経って――
 ところが、何度、帰ろうとしてもアヤノは僕を引き止めて離さない。それどころか、しきりに泊まるよう勧めてくる。
 絶対に泊まっていけ。でも勘違いするな。変な気起こすな。彼氏いる。イッパイいる。グレーなのもいる。ワンナイトありあり。でも、お前はナイ。けど、私に興味ないのもなんか腹立つ。布団一つしかない。ザコ寝でお願い。
 ……◯らせねぇーなら、せめて布団よこせ。

   *

 帰るのも面倒なので、泊まることにした。
 しかし、あまり夜に寝ることのない僕は目の冴えて困っていた。人の家でやることがない。
 布団の中でモゾモゾと動くクソビッチをよそに、言いつけを守って換気扇の下で煙をくゆらす。
「トイレ」
 ムクリ起き上がったアヤノがボサボサの頭を掻き、手で払うあっちいけの仕草をやった。
 換気扇の下に立っている僕をどかせて、トイレへ消える。
 少しばかり空けた窓から吹き込む風が、カーテンをリズム的に押し上げる。ベランダのずっと先で光る月がチラチラ見えた。
 ――盛大にオションの音が聞こえる……羞恥心ゼロか。
「○☆△×!!」
 トイレから出てきたアヤノにタックルかまされ、僕は奇声を上げた。いや、奇声を上げたのは二人ともだった。
「そこ! ほらそこ!」
 どこ?
「違う! そこ!」
 思ったより下……って、そんな話ではない。アヤノは僕の肩をわし掴んで玄関を指差す。
 ――ストーカー?
「いるけど、違う!」
 いるんかい……
 首を突き出し目を凝らしたが、なにもない。
「男の子、覗いてる!」
 郵便受けから男の子が覗いてると主張するアヤノに、怖々郵便受けを確認しにいく。
 ……なにもない。
 次いで、恐る恐る玄関を開ける。
 ……なにもなかった。
 地べたを這いずる電流を受けて、足元から込み上がったような緊張が解ける。
「あぁー、もうイヤ! 毎日、変なん見えねん!」
 聞けばここに越してきてからというもの、いつからか子供の幽霊らしきものを頻繁に見るという。
 ……さてはコイツ。それで、しつこく泊まれと言ってきたのか。
「ホンマ無理……なあ、明日からアンタとこ泊めて」
 力なく崩れるアヤノを尻目に、もう帰る、怖い、と玄関に足を進めた。が、ひしと下から片足にしがみつかれた。
 お前のが、よっぽど怖い。
「お願い! 一緒にいて!」
 無理です。こんな幽霊マンション。
「それか連れて帰って! ただ、いるだけ!」
 ……ただの、扶養家族やないけ。
 取り合えず、一旦、落ち着かせようと完全に腰の抜けているアヤノの手を取り立たせた。
 異常に冷たい手だった。冷え性とかそういうのだと思うが。
 冷蔵庫から勝手にペットボトルの水を取り出す。壁にもたれ、顔を覆ってうつむくアヤノに差し出した。
 憔悴は嘘に思えなかった。

 決して一晩中、僕が「一回だけ!」と、しつこく迫っていたわけではない。

   *

 朝日が差し込み家主の寝息が聞こえたころ、部屋を出て鍵をかけ、郵便受けから鍵を戻すと僕はマンションをあとにした。
 アヤノが寝静まるのを待っていたわけではなかった。出られなかったのだ。
 アヤノには言わなかったが、彼女が水を飲んでいるときに僕はハッキリと聞いた。

「ぇぇ…ぇ…開けてぇ…ぇ」

 脳へ直に語りかけてくる距離感のつかめない声を。
 見上げた先、アヤノが背にした頭上、換気扇の隙間――

 無数の小さな手が伸びていた。

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某

ヤレバデキルコモドキ科。口は災いの元が学べない。
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