いい人

 よくない知らせは突然だった。酒もタバコもやらない。おかしな薬も持病もない。
 僕が知る限り、僕の周りでは限りなく頭も身体もまともなやつだった。ついでに一番巨根。

 ICUから抜けたそいつはいわゆる植物人間になっていた。家業の土建屋仕事でパンパンに張った身体は日に日に萎んで、体中に繋がれた管になんとか生を繋いでいる状態が長く続いている。
 胃ろうは生きているもののわがままな気がして、いっそ僕あたりが殺してしまえば皆んなが幸せになるんじゃないのか? そんな不埒をいつも手土産に面会に訪れる。
 事あるごとに訪れる。ヒマだから。だってすることないし。
 ご両親は日に日に面会に来てくれるお友達が減ったと吐露していたが贅沢だ。
 皆んな仕事も家庭もある。やや子抱えて、主任だチーフだ一番忙しくて充実した時期だ。
 いい歳こいて張り合いなく、ただ漠然とエロDVDだの電子タバコだのを売ってる奴とは違う。

「ナースステーションの人たちも(あなたの)顔は覚えてますよ」
 ある日、PTだかETだかリハビリの先生にそう言われて、あゝハア……と生返事で答えた。
 たまたま知り合いの担当になったのがもれなく若い女の先生ばかりで、平日に行われるリハビリの様子を間近に見るのは僕ぐらいのものだったから仕方ない。
 こっちは誰の顔も名前も覚えていないし、マスク姿の若い女性など皆一様に見える。まとめて看護士orリハビリのお姉さんである。
(それ目当てで面会に来てるとか思われてたらヤダなあ……)
 そんなことを思いながら、リハビリを受けるもの言わぬ変わり果てた知り合いを日々眺めていた。

   *

「今から主治医の先生と面談があるの」
 いつものように喫茶店感覚で面会に訪れるとタッチの差で来たご両親がそう言った。
 そうこうしていてリハビリの時間になったものだから、僕は流れで車イスに乗せられた知り合いとリハビリのお姉さんのお散歩について行く。
 家族に見捨てられたとこぼすババアがヨチヨチ歩く。膝から下のないオッサンが○○48の握手会参加を糧に重りを引きずって車イスを漕ぐ——
 クマちゃんの抱き枕を抱えた僕の知り合いは、呆けた顔でお空を見上げていた。
——雲なんかきっと味ないよ
 僕が言って、知り合いはただ宙空を向いていた。リハビリのお姉さんの愛想笑いが渇いて中を漂う。
 そんなもの食って腹を下す。誰も取って食おうとしない。
「……さ〜ん」
 キスするぐらいに近づけた笑顔で恋人繋ぎに手を握り、リハビリのお姉さんが車イスの前で膝をつく。
 時給2,500円は発生しそうなサービスにも知り合いは反応しなかった。
——雲なんかいくら食べてもお腹ふくれないし味気ないよ……
 僕はベンチに腰かけまだそんなことを言っていた。
 知り合いの硬直した指を動かしながらリハビリの先生が、
「思った通りですよね」
 僕に笑顔を向けた。
 まあ、今の段階でなにを言ったところで、突然、知り合いに意識が戻るとは思えない。
「私も思った通りですか?」
 ハテ? なにを言ってんだか。
「お会いした時、どうでした?」
 どうでしたもなにも知り合いがこんな風になって実感はなかった。未だに実感は薄い。
「私は思った通りでしたよ」
 リハビリのお姉さんがマスクの下で笑顔を作る。
 待て、待て。話の流れが分からない。
「え? 私のこと分からないですか?」
 知り合いのリハビリを続けながら言う。リハビリをしている人が。リハビリを受けていない人に向かって。リハビリを受けている人を見ながらに。
——さすがに、お姉さんは覚えましたけど
 僕より少し若いぐらいに見える。芯の強そうな、ドライでしたたか……私は他の人みたいに綺麗じゃないですから、なんて言いながら実は一番おモテになるタイプ。
 そんな印象を勝手に抱いていた。が、べつに僕とリハビリのお姉さんが顔合わせしてなんらなにもないハズ。
——あっ、
 ハタと気づいた。もしかしてこの人も同級生だろうか。脳梗塞で視床下部も中枢神経もヤられた知り合いと僕の関係、このリハビリの先生も知り合いにとっても僕にとっても——
「同級生とかですか?」
——ああ、ハイ。もしかしてお姉さんも
「……? 私は違いますよ」
 笑顔に潰れた目が笑っているかどうか定かではない。
——でも
「でも」
 言葉が被る。
「初対面でしたよ。でも知ってる人です」
 明記されている名前を見ても、ああ、とはならない。でも、なんだか見たことのあるような気のする花壇の花を見やる。
「雲が味しないとか、ハッカの味がしそうとか——そういうことを言う人だな、って知ってる人です。私」
 頭に血を巡らせる。知り合いに負けじと詰まっている血管を熱くする。
 どこかで一緒に働いていた? いつかの客? なにか関わりのある人?
 覚えはなかった。
——どこかでお会いしたことあります?
「この病院が初めてですよー」
 お会いしたのは、と付け加えて彼女は笑った。
 からかわれている? 男をたらし込む手? 自分に気があると思って、いや気がない風に見えるのに腹立てて——
 色々考えたがわけが分からなかった。昔に知り合った仲ならこちらが忘れていて、向こうが気づくハズもない。
 僕は昔とは見た目も表向きの言動も180℃変わっている。変わったのは地元から遠く離れた地で仕事をしている時期だ。
「ああ〜痛いですねー。でも我慢してくださいねー」
 おかしなことを言う彼女は、笑顔で躊躇なく知り合いの硬くなった指を広げていた。
 奇妙だ。確かに僕は「雲なんて味はしない」と言った。だが、「ハッカの味がしそう」とは言っていない。
 言ってはいないが思った。言葉にして、声にはしなかっただけだ。
 それを知っている知らない人……
「ココ痛いですよね、痛いですよね」
 言葉と所作がチグハグな彼女が笑みを浮かべて見せている。
——前世とか、そういうのお分かりになる人ですか?
 言った僕に彼女は一瞥をくれて、
「なんですか? それ」
 運命の赤い糸的なやつですかー? いいですねーそんな人いたらと、彼女は笑った。
——臨床心理とか、なにかそういうので分かる、とかですか……雲がハッカ味とか言ってしまう人間
「臨床心理士はまた別ですよー。私は——」
 そこまで言ってリハビリのお姉さんは、あっ! と声を上げた。
 別の担当患者のご親族の姿が見えたようだ。なにやら声をかけている。
 遠慮なく見つめたその横顔にやはり覚えはない。この病院で会う以前から知っているこんな風な女性、僕を知っている女性(ヒト)。性転換した風にも思えない。
「お部屋戻りましょうか」
 知り合いか僕にか、それとも誰ともなく言ったのか……リハビリのお姉さんは止めていた車イスを押し出した。
 車輪が回る。
 乗せられた人間が動く。
 僕はただ、それについて行く。

「……さん、こんなになってまでねえ」

知り合いのご両親に聞いてみても”いい人”としか返答のなかったリハビリのお姉さんの正体は未だ知れない。

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某

ヤレバデキルコモドキ科。口は災いの元が学べない。
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