藤井さんが社員旅行で長野のコテージに泊まった時のことだ。
飲み会も途中で切り上げ、一人部屋で横になっていたそうだ。
部屋は二階で、窓からは田んぼしか見えない。
翌朝に出される絞りたての牛乳を楽しみに目を閉じた。
寝入りばな、
タン……トン……。
静かにドアがノックされたという。
起きるのが面倒だったので藤井さんはそのまま目を閉じていた。
再び睡魔に身を浸していると、
タン……トン……。
先ほどよりも強い調子でドアが叩かれた。
ため息をついて藤井さんは起き上がった。
「なに?」
ドアを開けたが、しかし誰もいなかった。階下ではまだ酒盛りが続いている。
どうせもう少し飲もうという誘いだろう、藤井さんはそう判断して再び横になった。
(誰も来るな。俺は眠いんだ)
もうドアをノックされても起きるつもりはなかった。
しかし。
タン……トン……。
またノック音が狭い部屋に響いた。
藤井さんは横になったまま目を見開いた。
音はドアからでなく、半端に開けた窓からだった。
視線を送ると、窓には影がひとつできている。長い髪の女のようだった。
ドン……ドンドンドンドン。
太鼓のように、窓を何者かが叩いた。
藤井さんはそこで金縛りにあっていることに気づいた。
ドン!
最終通告のように、窓は強く殴りつけられた。
藤井さんは叫び声をあげようとしたが、かすれ声にしかならない。
窓の隙間から、真っ黒な手が伸びてきた。
続いて暗い穴が二つ空いた、女の顔がにゅっと入り込んできた。
あるべき目玉は、抉られたように空洞だった。
<うるせぇ>
目の無い女はぽつりと呟いた。目がないのに、藤井さんは女からのはっきりとした視線を感じた。
後はもう、必死に心の中で祈るしかなかった。
(ごめんなさいごめんなさい。もう騒ぎません騒ぎません静かにします気をつけます気をつけます二度としません)
そこまで祈ると、藤井さんは気を失ったそうだ。
翌朝、同僚に起こされた時には首に紫色に変色した痣が一周巡っていた。
「結局誰にも言わないで会社辞めちゃった。いやちゃんと皆に話そうって思ったんだけど……これからもあのコテージ使うだろうし……けどなぁ、きっと信じてくれないだろうし」
言っておいた方がいいのではないか、そんな私の助言も、よくあることだが流された。
「転職した今は給料は安いけど、のんびりしてていいよ。社員旅行なんて面倒なこともないし」
だそうである。