夜道で稀に、後方から(あるいは前方から)熱唱する自転車乗りとすれ違う瞬間がある。
たぶん本人はイヤホンから流れる音にあわせて小声で歌っているつもりなのだろうが、夜だとあれは響く。
……こなぁぁぁゆきぃぃぃぃ……こんな感じで、音が近づき、遠ざかっていく。
あんなに熱中してて危なくないのかね、と話していると間辺が体験談を教えてくれた。
「ああいうのってお前、まじまじ見るタイプだろ?」
「うん。熱唱してて気持ちいいだろうなー、けど後で赤面しないかなーってやや嘲笑的に」
「なるべく見ない方がいいよ。見てもいいことなんて一つもない」
それはそうだ。得になることはない。放っておけばいいだけである。
「正論だね」
「違う違う。たまにこの世の者じゃない存在が紛れ込んでるからって意味」
間辺は帰宅時、スマートフォンをいじりながら歩いていた。
唸り声のようなものが聞こえ、顔をあげると無点灯の自転車が走ってきたという。
危ないなと脇に避けると、自転車は風のように過ぎていった。
地の底から響くような音で、
……いいいきいきいたぐいいいぃぃ……こんな風に音が近づき、遠ざかっていった。
「ただおかしな人だったんじゃない? もしくは異常に音痴だとか」
「頭がないのに?」
スプーンで抉ったプリンのように、自転車に乗った者の鼻から上はなかった。口は大きく動いていた。
以来間辺は自転車に乗っている人の顔は見ないそうだ。
都内某所、靖国通りでの出来事だったという。