建設業をされている畠山さんは西東京のアパートの一階に住んでいる。
朝の6時くらいと夜の8時くらい、リビングの窓に面した道路を、太った黒猫がのっしのっしと歩いていく。
その様は堂々としており、まるでこの道は自分のために用意されたかのようだったという。
首輪はしていなかったので野良かと思ったが、近所の人たちが「クロちゃん、クロちゃん」と撫でていたので、昔からいる地域猫だと畠山さんは理解した。
一度タイミングよく夕飯がサンマだったときにクロちゃんが通ったので、食い残しを窓から投げてみると、クロちゃんはさっと咥えて暗闇に消えていった。
以来クロちゃんは畠山さん家を通り過ぎるとき「にゃあ」と挨拶のように一言残していくようになったという。
「たまたまとかじゃねーんだよ、朝の6時に窓から外眺めては歯を磨いているとさ、クロちゃんと目があうんだよ。そんで『にゃあ』って鳴いていくんだわ」
夕飯を魚にしたときは、残りをついクロちゃんに与えるようになったという。
飲み会の誘いも断るようになり、夕飯時の一瞬の逢瀬がいつからか楽しみになっていった。
そこまで話してから、畠山さんの顔が曇る。
「おい先に言っとくけど、俺、アニメとかゲームとか、オタクの類いのモノには興味なんてないからな」
筋肉と脂肪ついた屈強な身体と濃い髭の見た目は誰もがそう判断するだろう。いかにも昔はヤンチャしてました、といった風体だ。
そうでしょうね、と相づちを打つ。
「だからこれから話すことは、別に俺がそうあって欲しいとかその手の願望じゃねぇんだわ」
そう前置きをしてから畠山さんが話した内容はこうだった。
夢の話だった。
夜ごと夢見る黒肌の娘。
夢の中でせんべい布団に横たわる畠山さんに覆い被さる、陽に焼けた若い女性。
長い髪からのぞく尖った大きな二つの耳。
しなやかな身体で畠山さんに寄り添い、細長い指で何度も何度も撫で回す。
愛撫は首筋から始まり、秘部を通って脛にいたる。
自分では身体を動かせない。顔だけが動く。唇が求められれば貪り、暗がりの中でもわかる張りのいい胸を眺め、快楽の声をあげる。
絶頂はないが、このうえない幸せを感じる夢だという。
娘は言葉を発さない。
ただ夢の終わり、必ず口角をゆっくりあげる。まるで「にゃあ」とでも鳴くように。
話し終えた畠山さんは「どう思う?」と聞く。
どうもこうもない、私が体験した話ではないが、あなたがそう体験して、その夢魔がクロちゃんだと思うのならそうではないのだろうか、と話した。
猫には人知を超えたなにかがあると、今まで何回も猫の不思議な話を聞いた私はそう思っている、と。
痩せ細るとか、仕事に支障をきたすとか、そういった化け猫の類いでないもの、害がないのであれば何も問題のではないでしょうか。
きっと餌の恩を感じた猫――クロちゃんがせめて夢の中で恩返しをしているのではないでしょうか。
もしあなたの願望が引き起こす夢でも、害がないのであれば何も問題は――。
そう話す。
「害ね……害はないよ、むしろ寝起きはすっきりしてるし、眠るのが楽しみだし。まぁ……ずっと続けばいいなって思うわな、男なら」
けどな、と畠山さんは言う。
「この夢を見てるのは俺だけじゃないって。俺が聞いて知ってるだけで二人。どっちも俺の町内に住んでるオッサンだよ。一人はスナックで話しているのを横聞きで、もう一人は直接。直接っていうかさ、餌やりしてるしょぼれくれたオッサンが猫のクロちゃんにぶつぶつ話してるんだよ。気になるじゃん。でさ……耳をこらすと『どうしていかせてくれないの、どうして最後までさせてくれないの』って言ってた。察するわな、まぁ」
――全員が同じ夢を見ている、と。
「俺含めた三人が見てる夢なのか、それともクロちゃんに餌やってる男はみんな見てる夢なのか、確かにクロちゃんに餌やってるのはみんな男なんだよ、俺含めたいい年こいたオッサンばっか。なんだろうな、これ」
わからない、と私は答えた。
今もクロちゃんは毎朝毎晩「にゃあ」と挨拶をしていくという。