蛇の目

 那須さんの元同僚は病的な女好きだったという。
「それもモテりゃまだいいけど、ぜんぜんダメ。典型的なキモオタなオッサン」
 同僚は中井と名の46歳の男性だった。
 確かに女性を独りよがりで追いかけるには歳をとりすぎている。高校生、大学生ならまだ許容範囲であるが……。
「けどまだいいのよ、だって別に俺に実害ないもの。好きにすりゃいいのよ。キモがられて終わりだし。辞める女の子もいたけど、俺と仲良い子じゃないしね。会社の問題っしょ」

 中井とは特に仕事の繋がりもなかったので、那須さんは存在を放っておいた。
 だがとあるプロジェクトで急遽組むこととなった。
「仕事中は問題なかったよ。足を引っ張るでもなく活躍するわけでもなく。俺と一緒だよ。だだけど……仕事終わった後の奴にはまいったよ」
 プロジェクト内の女の子に執拗に連絡する。
 取引先に女性がいれば仕事を口実に連絡先を聞こうとする。
 親睦会の場で一緒になった女性にはべっとり張り付き、いかに自分が優れているかの話をする。
 決まって女性の年齢は20代だった。
 親睦会ではさすがに見かねて那須さんは声をかけた。
「そんなに二人だけで話さないで、もっとみんなとコミュニケーションとりましょうよ」と。
 そう話す那須さんを、中井は大きな瞳で、無言でじぃぃぃっ……と見つめた。
「ただただ不気味だったよ。喧嘩売る眼とはちょっと違うというか……。もちろんネガティブな感情は伝わってくるんだけど、なんていうんだろう『どこまで目の前の奴に非道いことをしてやろう』ってじっくり考えている眼っていうか。ゾッとするよね、そういうの」 
 那須さんはとりあえず場を取り繕い、そそくさと去った。

 その出来事以降、どうも目の敵にはされてしまったようで、仕事中に妙な失敗が続いたという。
「出したはずの書類が出されていなかったり、俺だけ打ち合わせの時間知らされなかったり」
 当然中井が仕組んだことだと察しはついていた。
 だが問い詰めるのも面倒で、那須さんは放っておいた。中井が女性にしつこい付きまとう様を横目に、もう関わることを止めようと思っただけだという。
 
 その年の秋、同じ職場の女性が一人辞め、翌月にまた一人が辞めた。
 噂を聞く前から予測はついていたが、中井の執拗な付きまといに嫌気が差したからだという。
 会社は何もしなかった。
 違法性がなかったからだという。
 聞いた話では、たまたま退社時に出会う。LINEで連絡は何回何十回もあるものの、どれも当たり障りのない話。教えたはずのない個人情報を知っている(趣味・住まい・仕事の愚痴)。住まいの近くで見かけることがある。
 ストーカーと印象はあるが決定的な実害がないため、会社も手出しできないのが実情だとも聞く。
 那須さんはため息をついた。
「まぁ人の出入りなんて、給与が安いからさ、よくある職場だったから……」
 会社も深追いはわざわざしないのだろうと思った。
 ただただ不快な気分だけが残った。

 ある飲み会の帰り道、同僚と酔いでふらつきながら帰っていると、道ばたに易者がいた。最近よく見かける易者だった。
 酔いに任せたノリで同僚が手相を見てもらう様を見ていると、那須さんも興味をそそられ、見てもらうことにした。
 人の良さそうなお爺さんがじっと那須さんを見る。
 那須さんの突き出す手のひらを無視し、易者は告げた。
「蛇がおるよ、あんたの後ろに」
「蛇ですか?」
 意味もわからず聞き返した。
 皺だらけの指が、肩の後ろを指す。
「腹が膨らんだ蛇がな、あんたの後ろで首を伸ばしておる……こりゃあ生き霊の類いじゃなぁ」
 生き霊と聞き、とっさに中井の顔が思い浮かぶ。中井のぎょろっとした眼。無感情の眼。捕食することを専門とした眼。
 背筋がゾッとする。
 もしつかみ合いになっても負ける気はしない。
 だが相手はつかみ合うつもりなんてない。
 正面でぶつかるつもりがないタイプなことは知っている。
 ただ自分勝手に、相手が弱っている瞬間を待って待って待って、そこを狙う。蛇の習性。
 飯を食った後、寝不足のとき、緊張で固まっているとき、仕事がうまくいかず沈んでいるとき。
 ――同じ職場に蛇がいる。そして自分を狙っている。
 酔いがすーっと醒めていく。
「こりゃまた性質の悪い蛇だなぁ」
 そうだろう、と実感した
 向こうの目的は捕食なのだ。張り合うこと、勝負することではないのだ。
「あぁ、けど安心しなさい。その蛇、ヨソを向いてる。あんたじゃないようだ」
「え?」
「首は伸ばしとるがの、眼は違う方向向いとるよ、あぁ良かった。こりゃ大丈夫よ、きっと」
「右、左、どっちの方向ですか?」
「左よ、そっちをじぃぃっと見とるよ」
 那須さんの二つ右には若い女性が座っている。大人しそうで、誘いを断ることが苦手そうで、よくよく見れば可愛い最近入社した女性社員だ。
 そうですか、ありがとうございます。と那須さんは答え、金を支払ってその場を去った。
 ターゲットは自分じゃない、それがどれだけ自分を安心させたか。
 去り際、これだけ言われた。
「蛇の生まれ変わりって、まれにいるから。関わらないのが一番だからねえ」

 二週間後、那須さんの予想通り、二つ右の女性は異動願いを出した。
 最後に聞いた話では女性宅(家は青梅市にある)の近くのファミマで立ち読みをしていたという噂だった。
 眼は雑誌を見ていなかったという。
 
 <欲しいのは、だっこ。>
 ――コンビニで待っていたと思われる時間に彼の呟いたツイート。四十代の男性。長い胴体で絡みつくイメージ。

 去年、中井は仕事を辞め、今は別の仕事に就いている。
「あれと同じ職場になった女性は不幸だよね。そしてきっとあいつも幸せにはなれない。ウィルスみたいなもんだよ。ずっと不幸せの感染源となって、あちこちの職場の女性に絡みついて不幸にしていくんだよ」

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別府

管理人です。ビックリしたときのリアクションは子供みたいです。

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