猿に似た……

 メールで頂いた話。

 我が家の近所にお住まいの岡崎さんのお話しをさせていただきます。

 岡崎さんは御年86歳ながら、足腰も元気で矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃいます。
 数年前にご主人を亡くされてからは一軒家に一人でお住まいになられていて、趣味の園芸や畑をしています。
 家から歩いて数分の距離に公園があり、その一角に岡崎さんは管理人に許可を得て花壇を作っています。
 私もその公園の近くをジョギングコースにしているので、岡崎さんが丹精込めて育てた四季折々の花が綺麗に咲いているのを見ると、ささくれだった心も穏やかになるようでした。

 しかし最近その花壇に手入れされたような痕跡が見られず、自宅の畑や園芸もやめてしまったようで心配していたところ岡崎さんに会ったのでお話を聞くことにしました。
「岡崎さん、最近公園の花壇が元気がないみたいですが、どうかしたんですか?」
 そう聞くと岡崎さんは顔を曇らせて
「ああ、あそこねぇ・・・。今の若い人に言っても信じてくれるかしら」
 と話し出してくれました。
 岡崎さん自身も花壇の様子は気になっていたようで、栄養剤を変えたり土を変えてみたりとしていたそうです。
 それでも、その花壇の真ん中、一番花が綺麗に見えるはずの場所の花はぐったりと元気がなく、周りの花と比較しても目に見えて分かるほどに今にも枯れそうな風情だったそうです。
「最初は酔っぱらいとか犬のオシッコのせいかと思ったのよ」
 発酵も腐敗もしていない尿は草花にとって毒になるそうで、岡崎さん自身の家でも犬の足が届きやすいところに置いたプランターがダメになったこともあり、今回も決まった場所の草花が枯れかけていることからそう思った岡崎さんは花壇の回りに犬が忌避するスプレーを撒いたり、犬や猫にオシッコをさせないよう立て札を立てたりしたそうですが、効果はなかったようでした。
「それでねえ、あたしも躍起になっちゃって、どの飼い主か酔っぱらいか知らないけど、一言文句言ってやろうって気になって、朝夕とかそれ以外の時間にも散歩と手入れを兼ねて見張りに行ってみたのね」
「そうなんですか……犯人は分かりました?」
 そう聞くと、岡崎さんは一瞬泣きそうに顔を歪めてから、ぽつりと一言、
「……猿」
 と言いました。

 ――猿?

 熊や狐や狸やシカによる畑の被害などはニュースでも近所の噂話でも聞いたことがありますが、猿の被害は聞いたことがありません。というよりも、私の住んでいる地域には、野生の猿が住んでいるなどとは聞いたことがありません。
 苦い顔のままの老婆に、保健所に連絡すればどうかと促すと、彼女は青筋を立てながら大声で言いました。
「大きいのぉ! 大きくて手も足も長くて、きっと立ち上がったら私たちなんてゆうに見下ろされるサイズの猿よお。ねえぇぇ、そんなの見たことある?」

 目の前の老婆はいつ泣いてもおかしくないほど顔を歪めていました。
 岡崎さんは小柄な女性ですし、私も女性の平均身長よりも低いのですが、それにしても立ち上がって160cmを越えるような野生の猿がいるとは思えません。
 考えあぐねて私は、
「……どこかの家で飼ってる猿が、抜け出したんですかね」
 と間の抜けた答えしか返せませんでした。
 それにも首を振って、岡崎さんは一度大きく息をつきました。
 そして少し間を開けてから、思いきったように私を見て話し出しました。
「あのねぇ、この間あたし……、まだ太陽も上がってこないような時間に目が覚めたの」
 周りはうすぼんやりと明るくなりかけていて、東の空から太陽の光が差し始めているような時間でした。
「いつもは自宅周りの花や畑の様子を見るだけなんだけど、ふと思い立って公園に行ってみようと思ったの」
 日中に何度公園に足を運んでも花壇が荒らされたり、犬が粗相をした様子もなかったため、岡崎さんは夜中や早朝に散歩をしている人ではないか、と見当をつけていました。
 早速着替えて上着を羽織り、もし言い合いになったときのためにと園芸用のスコップや三本歯のクワ等が入った袋を手に公園に向かいました。
 まだ辺りは薄暗く、明け方の冷えた空気が気持ち良かったそうです。
 公園に着くと、人の気配はありません。
 時折鳴くカラスの声に驚きつつも、足音を忍ばせながら花壇まで近づいていきました。
 そこには、なんとも形容しがたい「猿」がいたそうです。
 最初は、こちらに背を向け四つん這いになって踞っている人のようにも見え、声をかけようか迷いながら近づいていくうちに「人ではない」と気づいたそうです。
 それは、テナガザルやナマケモノのように異様に細く毛むくじゃらで鈎爪のような爪がある手を器用に口元まで動かして、何かを食べているようでした。
 背中や足までびっしりと毛が生えたその姿は、岡崎さんには「猿のようななにか」としか形容できませんでした。
 どれぐらいソレの後ろ姿を見つめていたのか。
 岡崎さんの近くでまたカラスが鳴きました。
 瞬間、そいつは手にもった何かを口元まで運ぶのをやめ、岡崎さんを振り返りました。
 毛むくじゃらな体に反して、顔には一切の毛がなく、能面のような、のっぺりとした若い女性のような顔をしていました。
 ソレは不思議そうに首を傾げ、にゅぅうっとと岡崎さんに首を近づけました。
 その首の伸ばしかたはあり得ない伸ばしかたでした。
「何て言ったらいいのかしら、思い切り縮めて蛇腹になっているホースを目一杯伸ばしたような、動物の首って普通あんなに伸びないのに、骨とか皮とかそんなの関係ないみたいに、ぐうーっと伸びたの」
 そして近くで見たソレの顔は、口元が汚れていました。
 口元近くにある手には土が握られていて、岡崎さんはそれを見て「ああ、コレが土を食 べてたからなんだ」と不思議と納得しました。
 ソレは梟のように傾げた首を戻し、岡崎さんに、
「う、むぁあい」
 と声にならないような声を漏らしました。
 そしてソレは岡崎さんの花壇と岡崎さん自身を見比べて、
「あ、げぇる」
 と岡崎さんの足元に何かを投げ出しました。
 目を凝らして見つめると、それは数匹の首をねじ切られたカラスの死骸でした。
 そこまできて岡崎さんは限界を迎え、園芸用品を入れた袋をソレに投げつけて悲鳴を上げながら逃げ出しました。

 家に帰り完全に朝が来るのを待ち、家の前の道路に人通りができるのを見てやっと落ち着いた岡崎さんは、さらに陽が高くなってから公園に行ってみました。
 花壇の様子も、投げつけた袋もそのままでした。
 袋を拾い中を確認すると、中のスコップやクワが飴細工のようにねじれ、曲がっていました。
 岡崎さんはその袋を公園のゴミ箱に捨て、それから自宅の畑や園芸を整理しました。

「なんで家の畑までなくしちゃったんですか?」
 そう私が聞くと、「多分だけどね……」と続けてくれました。
「アレは土を食べて『うまい』、『あげる』って言ってたと思うの。だから、カラスはそのお礼じゃないかって。だったら、アレは私が手掛けた土を狙って今度は家にくるんじゃないかって……」
 そう言って岡崎さんは不安げな顔のままため息をつきました。

「変なこと聞かせてごめんなさいね。私もボケてきちゃったのかしら」
 そう言って笑う岡崎さんに「まだまだですよ」と返して挨拶し自宅へ歩きながら、私はソレについてもう一度考えてみました。

 ソレは岡崎さんの手が入った土を食べて気に入った。
 そのお礼にカラスを渡した。
 でも、岡崎さんはきっと自宅のみならず公園の手入れもしなくなるだろう。
 そうすれば、ソレのエサはなくなる。
 岡崎さんの家にもソレが求めるものはない。
 その時、ソレの怒りの矛先は岡崎さん本人に・・・?
 飴細工のように曲がったスコップやクワと、岡崎さんを重ねてしまって、あまりな想像に自分でも苦笑しました。

 最近少なくなったカラスの鳴き声も、きっと偶然だと思います。

 ソレがどこから来た何者なのかもわからないまま、はっきりしたオチもない話ですが、お役に立てば幸いです。

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別府

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