通い猫

 本山さんが中学生だった頃の話だ。
 当時裕福ではなかった本山さんは一家でアパートの一階に住んでいた。
 2017年現在よりも野良猫や野良犬の多かった時代。
 彼女が住むアパートの裏手にある駐車場に猫はひっきりなしにやってきたが、その中で「モチ」と名づけられた一匹の猫を本山さんはいまだ覚えている。

 モチはぶち猫のオスだった。
 シッポは千切れ十センチほどしかなかった。触ると「サトウの切りモチ」のようで、そこからモチと本山家で呼ばれるようになったという。
「最初は駐車場でご飯あげてたりしていたんだけど……うちのママが窓をあけてるせいで、気づけばお家に入り込んでくるの」
 本山宅にのっそりと上がりこむモチだったが、なぜか窓にかかるカーテンの陰から先には進まなかった。
「不思議だったのよねぇ。カーテンに包まれて、鎮座して、外をじぃっと眺めてるの。エサもねだらないし。『いや、自分ここで大丈夫ッスから』って言いそうな仏頂面で、いつのまにかやってきて、いつのまにかいなくなっているの」
 鳴きもしなかった。
 ただカーテンが猫の形そのままに盛りあがっているので、モチの存在にはすぐに気づく。
 見つけると本山さんは妹とそろって笑うのが常だった。
「モチさーん、お尻でてますよー」
「でてますよー」
 本山さんがお尻をつつくと『んんなぁ』と毎回短く鳴く。
 皿にいれたミルクをすすめると『そこまで仰るなら……』といわんばかりに時間をかけて口をつける。
 顎を撫でられると『まぁ世話になってるんで……』といわんばかりの渋い顔つきで耐える。 
「なんだろ、イメージだけど高倉健さんみたいなにゃんこだったの。控えめで。何もねだらないで。今思い出すとあの子がトイレしているところも見たことなかったなぁ」
 モチが本山宅に通い猫をしていた時期は約一年間。
 無理やりにでも世話をもっとしてあげればよかったと本山さんは言う。
「たまにね、まぁにゃんこだから仕方ないんだけど、たまにもう辛抱たまらん!って感じで、ごろんごろん寝転がるの。ほんの数分なの。数分すると、『寝転がったのは自分じゃないッス』みたいなとぼけた顔でまた座りなおすのが可愛くて可愛くて」

 よくいわれる話だが、猫は死期が近づくといつの間にか姿を消すという。
 モチの姿が一週間ほど見えなくなった頃、そんな話が本山家で出た。
 心配している姉妹にむけて母親は仕方のないことだと諭した。
 ――いくら律儀な猫でもお別れを言うわけじゃないの。モチは高齢だったし、きっと誰もいない場所で静かに息をひきとったの。
 母親の説明に妹は泣いていたが、中学生だった本山さんは納得していた。
 だが――モチは違った。ただの律儀な猫ではなかった。
 本山さんは確かに最後の挨拶を受け取ったのだという。

 ある夜、本山さんは夢を見ていた。
 悪夢だった。
 宗教施設に連れて行かれる夢だった。
「夢の中で私は白い衣装のおじさんにあれこれ説法されているの。狭くて暗い部屋で。とっても逃げられる雰囲気じゃなくて。話を聞いている私はそのうち『まぁこういう結末でもいいかぁ』って思うの。中学生のくせして『人生ここで終っても仕方ないかな』って思っちゃったの。当時は色々あったから、あんまり生きることに執着がなかったのね」
 本山さんに説法する宗教者はある液体を差し出してきた。
 透き通ったグラスの中に、目でわかる濁った赤色が見える。
 グラスを受け取った本山さんは厭な予感しかしなかった。だが断る気も起きなかった。
 ぐっと口に近づけた瞬間、グラスがはじけ飛んだ。
 驚いてグラスの飛んだ先に視線をやると猫がいた。複数の猫がいた。中心に一匹。白地で黒斑でシッポが十センチほどの猫。モチにしか見えなかった。
「にゃあああ」
 そう鳴いた猫の表情は、見慣れた無表情だった。
「にゃあああ……」
 鳴き声を耳に残しながら、本山さんは覚醒した。深夜だった。暗いはずの室内が妙に明るい。 
 窓の外、駐車場がある場所が明るい。赤く照らされた布団。何かが燃えていた。窓と近い場所で燃えている、と本山さんは瞬時に理解した。 
 煙が入り込んできていた(後日本山さんは放火だったと聞いた)。
 飛び起きた本山さんは家族を起こし、隣人たちと避難した。通報した警察がやってくる頃には、火はアパートにうつり隣人側の壁をひどく焦げさせたという。
「今でもまわりの大人たちからとっても褒められたの憶えてる。私のおかげで命が助かったって、アパートの人は感謝してくれた」
 もしあのまま夢から覚めなかったら……と考えるとぞっとする、と本山さんは言う。煙の入り次第で、一家が全滅していた可能性もあった。夢から二度と覚めることがなかったかもしれないのだ。

 ――以来モチの姿は二度と見なかった。
 今も思い返すという。
 夢の中で見たモチの無表情は、本山さんには心配している風にしか思えなかった。
 まるで卒業する生徒を見守る教師のようだったという。
「律儀な子だったから、最後にうちにも恩を返したかったんだろうなぁ……って私は思ってる」
 本山さんは照れたように笑う。
「人に信じてもらえないかもしれないけど、信じてもらえなくて全然構わないけど、モチは最後までうちのこと見守ってくれていたんだろうなぁって、私にはわかったの」

 今でもシッポの短いぶち猫を見つけると、モチのことを思い返す――本山さんは目を細めながら、そう言った。

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別府

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