コピー機の保守点検を生業とされる冨田さんが、新宿駅は京王線ホームにて耳にした声かけ事案。
それは中年男性が、保護者と思わしき老夫婦と離れた未就学児に一方的に話しかける、会話とは呼べないものだった。
傍から見ると、子供好きな男性が面倒を見ている、という風に思えた。冨田さんは息子の幼かった頃を思い返しながら微笑ましく眺めていた。
中年男性は子供の目線に合わせて話している。
「くるねぇ、くるよぉ」
「しゅしゅぽぽさん、くるねぇ」
幼児語で話しかけている内容は「電車が来た」ことを意味するものだった。
「しゅしゅぽぽさんにさわるとねぇ、すっごくいいもの貰えるよ」
「どんな?」
五歳くらいだろうか、素直そうな男の子は目を見開いていた。
「おうちににゃんこがくるよ。好きだよねぇ、にゃんこ」
頷く男の子の頭を、中年男性は撫でた。
「パパもママも、じぃじもばぁばも、みんなよろこぶ」
電車の到着を知らせるアナウンスが鳴る。
「ほら、しゅぽぽさん来るよ、来るよ、来るよ」
さわりにいくんだよ。
中年男性の一言に、ただ聞き流していた冨田さんの思考に電流が走った。瞬時に理解する。
こういう意味だ。
<猛スピードの電車に、身体と腕を突き出すんだ、坊主>
この男は何を言っているんだろう。
同時に身体が動いていた。鷹のようなスピードで子供の腕を掴んでいた。
中年男性を睨みつけるが、言葉は出てこなかった。怒りよりも戸惑いの方が大きかった。
冨田さんが言葉を発する前に、中年男性は笑みを浮かべてから背を向け、階段を昇っていった。
追いかけることはできなかったという。
「新宿駅の利用者数は一日で三百万人を超すと言われてます。ギネスにも認定されるほど多いのです。頭のおかしな人間が、無垢な子に害をなす人間が、まぎれこんでいても、ちっとも不思議ではないのです」
以来冨田さんはホームで電車を待っているとき、周囲への観察を怠ることができなくなったという。