黒い霧

 一ヶ月ほど前から大和さんは視界の隅に黒い霧を認めている。
 それはただ漂い、煙のように消えていく。

 大和さんが日雇いすら首になり、大好きなパチンコの代わりにゲームセンターのメダルコーナーで時間を潰している時だった。
 学歴はゼロに近く、金はマイナスだった。
 知人にも金融にも国にも借金を負っていた。
 だらだらとスロットを回していると、黒い霧は現れ、近づいてきたという。
「シノカ」
 三時間以上スロットと向き合っていると意識も溶けていく。
 ぼんやりとした頭で大和さんは答えた。幻聴だと思いつつ、それが死を誘っているものと直感的に理解した。
「いやぁ……ムリっす」
 黒い霧は濃密に、蚊をかき集めたように形どっていった。人の形になっていった。
「イツ」
 頭の形になった。
 黒い霧は瞳があたる部分には空洞をあけ、その二つの穴を大和さんに向けた。
「だから……無理」
「シヌシヌ」
 何度もエコーする。シヌシヌ、シヌシヌ、シヌシヌ、シヌシヌ。
 大和さんの脳裏に、今まで幾度も耐えてきた、何年もの屈辱が蘇った。
 それに伴い、自業自得かもしれないが、自分の置かれた状況の理不尽さや不公平さが、脳を衝いた。全身を激しい怒りがめぐった。
「むりだっつてんだろうがぁ、クソが!」
 振りかぶった拳で、スロット台を叩いた。隣で打っていた中学生が体を揺らした。
「イツ、イツシヌ」
「しつけぇぞ、クソ! 今以上に底辺があれば言うてみい」
 大和さんは溜まっていた不満をぶつけた。完全な八つ当たりだった。
「……」
「できねぇなら死んだままでいろよ!」
 飛んできた店員が出入り禁止を伝える頃には、大和さんの気分は一週間熟睡したかのように、生涯で一番スッキリしていたという。
 以来二度と大和さんの前に黒い霧は現れていないそうだ。

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別府

管理人です。ビックリしたときのリアクションは子供みたいです。

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