北関東のビジネスホテル

 弘一君が出張先のビジネスホテルに泊まったときのことである。
 取引先の人間に連れまわされ、したたかに酔っ払った。部屋に戻るやいなやスーツは脱ぎ捨て、布団に潜り込んだ。翌日も早かった。
 目をつぶると、ぼそぼそ、ぼそぼそと人の声がする。
(ホテルの従業員?)
 部屋の前は廊下である。
 電気をつけ、ドアスコープをのぞいた。
 誰もいない。
 ドアを開けて確認するのも億劫でだった。
 出張馴れしている弘一君は鞄から耳栓を取り出し、装着した。
 これで音は聞こえない。
 布団に再び入ると尿意を感じた。面倒だったが漏らすわけにはいかない。
 小便をしようとユニットバスのドアを開ける。
 花束を抱えた女性が便器に座っていた。
 白く浮かび上がる女の顔。焦げ茶色の花束。
 長髪からのぞく女の口元は忙しなく動いていた。
 反射的に耳栓を外す。
<うーん、うーん、やっぱり、うーん、さぁみしいぃ>
 見上げた女の頬には細かい陥没穴が無数にあった。蓮の花のようなそこから、ぷしゅうとため息に腐臭が漏れたという。
 弘一君は黙ってドアを閉めた。
 その足でフロントに向かい、今しがた見たことを報告するとスタッフは顔色一つ変えず新しい部屋を用意してくれたという。

「部屋の荷物は翌朝運んでもらいました。スタッフも入るのは嫌だったみたいです」
 苦笑いする弘一君に、ホテルの場所を尋ねると詳細ははぐらかされた。
「教えませんよ、場所なんて。教えたら、避けるじゃないですか。そんなのってないですよ。僕だけ怖い目に遭うなんて不公平じゃないですか。他の人もあの体験を喰らえばいいんですよ」
 ヒントとしては北関東だという。

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別府

管理人です。ビックリしたときのリアクションは子供みたいです。

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