端沼さんは三十四歳。自然豊かな九州地方出身である。現在は東京にて事務員を七年されている。
はっきり申し上げて彼女は悪趣味である。
彼女は周囲に「危ない人」だと思わせる目的の為、通勤に利用する都営バスでぶつぶつと呟く。
その行為により得るものは何一つないように私個人は(たぶん大体の人は)思うが、彼女は違う。
「スッキリするの」
そう仰る。
「タイプは二つね。気づいてさっと移動する人と、気づいてもそこに座り続ける人。なんで座り続けられるのかって? さあ? 自分は差別しないって思い込みたいタイプなんじゃない?」
端沼さんは濃い口紅を神経質そうにいじった。
「大抵の人は気味悪そうに席を移るの。運転手にいいつけたってどうしようもないしね。私はその席を追っかけてまた後ろに座るのよ」
さぞ不気味である。
特に呟く内容は決めていないそうだ。
カルボナーラの作り方を延々復唱する。
セーラーマーズに成りきったりもする。
最近はある女性研究者への悪口を長時間に及び垂れ流すそうだ。
「一回だけ、わけわかんないことがあったの」
その日、いつも通り端沼さんは呟いていたという。
前座席の背中姿は同年代のサラリーマンに見えた。
呟き始めてすぐ、次の停車駅に着いた。
「そのリーマンはそこで降りていったの」
バスが発車した。
なんとなくサラリーマンを眺めると、彼は赤信号中の大通りをバンザイしながら駆け抜けようとしていた。
もちろん無理だった。
サラリーマンは運送トラックに跳ね飛ばされ軽自動車に肩あたりを轢き潰された。
端沼さんが乗っているバスも一時停止し、乗客全員が注視していたそうだ。
ぴくりとも動かなかった。
「やっぱり、きっかけって私の呟きだったのかな?」
尋ねられても私にはわからない。
「ね? わけわかんないよね?」
私は曖昧に首を傾けた。
因果関係があるのかもしれない。ないのかもしれない。
だが誰だって他人の呟きは聞きたくないんじゃないかな、と私は告げた。メンタルの調子が悪いときに出遭いたくはないだろう。誰しも。
端沼さんは静かに、だがゆっくりと顔を赤くさせながら説明した。
「私が責められる理由なんてあるかな。自分を危険人物に見せたい人ってそこら中にいるじゃない。ヤンキーだってヤクザだってそうでしょ。それにナチュラルなキチガイだってそこらにいるじゃない。みんな見てない振りしてるけど、あいつらが何よりの災厄じゃない。私のこと責めるんだったらまずそいつらを責めてからにしてよ。私のことを排除したいないまずそっちから排除してよ。それがなくなるまで私はこの趣味をやめないから。だって私は何にも悪くないんだから」