「東京のなにが嫌って、お風呂が狭いとこよ。七万円もかかるマンションなのにユニットバスなのよ。地元だったら3LKDにだって住めるのに」
杉浦さんは大のお風呂好きだ。
「デトックスっていうか、体内の毒素が全部でていく感じが大好き」
仕事から帰ってくると全身がふやけるまでお風呂に浸かる。
防水携帯から小説、水が入ったペットボトルは当たり前で、はてはお菓子まで持ち込むという。
受験生の時はお風呂に参考書をジップロックにいれて読んでいたというから筋金入りだ。
当時住んでいたマンションはユニットバスだったが、それでも二時間近くまで入ることはザラだそうだ。
「ただ携帯はやっぱり調子悪くなっちゃって……だから持ち込むのは止めたの」
それがあだとなった。
休日の夕方。
時間を気にせずお風呂にゆっくり浸かり、汗を流していた。
そろそろ髪を洗おうと杉浦さんがシャワーヘッドをつかむと、ふいに煙草の匂いがした。
杉浦さんは煙草を吸わない。
ユニットバスには窓はついていない。
耳をすますと、いつの間にかテレビの音が流れていた。
「暖かいお風呂なのに、全身に鳥肌がたって……」
どうして気づかなかったのは不思議なくらい、人の気配がした。
ユニットバスの扉の向こうには明らかに誰かがいたという。
杉浦さんは震える手でユニットバスの鍵を閉めた。
携帯を部屋に置いてきたことを激しく後悔した。
――空き巣だったら、なんでも持っていっていいから、早く出ていって。
テレビからの笑い声がどっと起きると、部屋でも笑い声が起きた。
二人分の笑い声だった。
もう風呂場から出られる訳がなかった。
杉浦さんは結局六時間、篭っていたという。
いつのまにはうたた寝していた杉浦さんを、マンションのドアがバタンと閉まる音が起こしたそうだ。
恐る恐るユニットバスから出ると、誰もいなかった。予想していた部屋の惨状もなかった。
だが何者からいたことを証明するように、部屋の中央には腐りきったトマトが置いてあったという。
袋から滴る緑と茶色の腐汁がカーペットに広がったいたそうだ。
「片付けはしないで、服だけ着て地元に帰ったわ。警察? 地元から電話したけど、まったくもう、お話になんない」
杉浦さんは今は実家の近くの、家賃四万円弱のアパートに暮らしている。
長風呂はまだ続けているが、事件以来、風呂場に刃渡り十六センチの包丁を置くようになったという。